ちょっと書いてみてもいいですか

うつ闘病中ですが日々の中で思うことをちょっと書いています

うつ病とファッション鬱

「ファッション鬱」

 

あなたはこの言葉を知っていますか?

自分は、ネットで鬱について検索中に

「ファッション鬱」という言葉に出会い

初めて知りました。

 

今回は、気になった言葉

「ファッション鬱」について

思うことをちょっと書いてみます。

 

この「ファッション鬱」という言葉

正直、あまり良い意味ではないようです。

 

自称鬱だとか、

鬱で不幸なのをアピールしているとか

「ファッション鬱」の記事には

そんな文章も書かれていました。

 

なかでも気になった記事はこれです。

www.fashionsnap.com

この記事の中には、

次のような文章があり目を引きます。

〈オシャレ〉風に精神疾患を描写することを、精神疾患の専門家アディティ・ヴァーマ(Aditi Verma)は「美しい苦悩」と呼んでいる。精神疾患ミーム化され、不安症やうつが、単にダークなフィルターやシンプルなテキストで演出できてしまう、一時的な〈気分〉に成り下がってしまっている。

 

確かにインターネットのおかげで、精神疾患に苦しむひとびとが仲間を見つけることが容易になった。しかし、精神疾患を〈オシャレ化〉して提示することは、精神疾患の仲間たちのためにはならず、むしろ、いいねやフォローを求め、内面の不安を歪めてしまっているようにみえる。

 

この引用文からつぎのような解釈を

してみました。

 

SNSでいいねやフォローを求めて、

精神疾患が〈オシャレ〉風に描写され

ネット上で共感され伝染していく。

 

一つのファッションを着飾るように

うつ病などの精神疾患を身にまとい

精神疾患をオシャレ風にアピールする。

 

これは自分なりの解釈です。

様々なご意見があると思います。

ですが、ここは自分なりの解釈で

続きを書かせていただきますね。

 

そこで疑問が浮かんだのですが、

この、SNSでいいねをもらうために

アピールしている方々は、

精神疾患になったことを

どう思っているのだろうか?

 

自分にとって、ここでいう精神疾患

うつ病なので、

うつ病に限っての話をしますが、

辛いものでしかありません。

 

誰かにすすんでアピールするものでは

ありません。

 

ただ、発言に反するかもしれませんが、

自分がうつ病でつらいことを

誰かに知ってもらいたい

理解してもらいたいという気持ちは

正直あります。

 

このブログで「うつ病」について

自分の気持ちを綴っているのも

発端はそんな自分を理解してほしい

というところからの発信です。

 

SNSでオシャレに精神疾患について

発信されいるという

この「オシャレ」も当事者にとっては、

その人なりの発信のしかたであって、

オシャレ風なアピールも

発信者からしてみれば

誰かに受け取ってほしい

心のSOSなのではないかと

自分は考えます。

 

この発信を、

オシャレなアピールととるか、

心のSOSと取るかは、

読み手、受け手次第だと思います。