ちょっと書いてみてもいいですか

うつ闘病中ですが日々の中で思うことをちょっと書いています

うつ病と居場所

人生において、
自分の居場所があることは、
とても重要だと思います。

自分のリラックスできる、
くつろげる場所があるという
意味だけでなく、
自分の存在意義を認識できる
場所という意味で、
重要だと思うんです。

うつ病になり、
とかく生き辛さを感じております。

それは、仕事、遊び、
交友関係、趣味と多岐にわたり、
昔より出来なくなった、
楽しめなくなった、
没頭できなくなったと
感じる場面が多いからです。

そのような、
何もできなくなったと
感じる気持ちが、
自分のテリトリーというか
居場所を奪っていったのです。

例えば、自分は、
旅行に、映画鑑賞に、読書と
趣味に生きがいを感じておりました。
しかし、うつ病となった現在、
それらの趣味に
没頭することはありません。
これまで楽しんでいた趣味は
自分を疲れさせるものでしか
なくなりました。

趣味と同様に仕事も、
うつ病を患う以前と
同じようには働くことが出来ず、
休むことも多くなり、
自分が職場にしがみついているより、
むしろ自分なんて
いない方がよいのではと
考えるようになり退職しました。

交友関係も然りです。
うつ病の苦しみが、
友人といえども
理解してもらえず、
自分から友人関係を
断っていくようになりました。

こうして、うつ病と診断を受け、
うつ病と生活を共にし、
「やりたくても上手くできない」
「やろうと思っても体が動かない」
「楽しもうとしても楽しめない」
というジレンマを
何回も経験することで、
少しづつ自分の居場所を
失っていきました。

朝、散歩などしていると公園で、
又、食事をとろうと入った喫茶店
楽しそうに会話に花を咲かせている
方々を目にします。

夜、繁華街を歩いていると
仕事終わりでしょうか?
スーツを着た方々が居酒屋へと
入っていく光景が目に入ります。

ただただ、その光景を
羨ましく眺めております。

きっと目に映る方々にとって
会話に花が咲く仲間や
居酒屋に飲みに行く仲間は
かけがえのない存在なのだろうと
そしてそこが居場所なのだろうと
思ってしまいます。

そんな場面に遭遇すると、
自分には、もうどこにも
居場所などないのだろうかと
改めて考えてしまいます。

うつ病と診断されてから
3年が経過しました。
うつ病とともに生活することには
いまだ、慣れません。

気分が落ち込めば辛いし
動きたくても動けないときは
苦しいです。

でも、辛い、苦しいと、
思ったり、言い続けるのにも
いい加減うんざりしてきました。

そろそろ、自分が
自分らしくいられる場所を
気の休まる場所を
探してもよいのではと
思い始めております。

誰かが、邪魔をしているわけでは
ありません。
これまで、自分で居場所を
探そうとしていなかっただけです。

探し始めればすぐ
見つかるような気もしますし、
無ければ作ればよいのです。

どんな小さなスペースでも
かまいません。
自分の居場所を見つけて
いくことが、
うつ病と付き合っていく
カギになると
今は信じています。