ちょっと書いてみてもいいですか

うつ闘病中ですが日々の中で思うことをちょっと書いています

うつ病と笑い

うつ病になって笑えなくなった。
笑うことがなくなった。
そう実感しています。

 

とてもつらく、悲しいことです。

 

まわりの皆が、大笑いしているのに
自分は、愛想笑いを浮かべるのが
精一杯なんてことも経験しました。

 

「笑うことは、良いこと」で、
医学的にも証明されているなんて
新聞記事や健康を扱った雑誌でも
見かけるテーマです。

 

でも、うつ病になると、
大切な笑いが、
自分の知らないうちに、
奪われているのです。

 

何故、笑えないのだろう。

 

理由は簡単です。
笑いたいと思わないからです。

 

例えば、
あなたの場合で考えてみますね。
「あなたは、今、笑っています。」
それは、あなたが何か
面白いものを見ている
からではないでしょうか?

 

TVを見ていて
バラエティー番組や
お笑い番組など
面白い番組が放送されていた
からでしょうか?

 

映画やアニメを観ていて
ギャグシーンが出てきた
からでしょうか?

 

友人や家族と話をしていて
面白エピソードが話題に
上がったからでしょうか?

 

きっと、あなたの笑いを誘う
とても面白いものと
出会ったからに違いないのです。

 

でも、うつ病の自分には、
笑いを誘ってくれるものが
ありません。

 

笑いを誘いそうなものに
興味がわかないのです。
関心がもてないのです。

 

TV番組や、映画など、
目で見て、音を聞いて
そのうえ内容を理解してなど
とてもハードルが高いです。

 

今、自分がTVや映画をみると
映像を眺めて、
音を聴き流すことぐらいで
内容は頭に入ってこないです。

 

とても楽しめる娯楽では、
ありません。

 

ですから、笑うシーンがあっても
おそらく、今笑うところなんだなと
どこか俯瞰で物を見ているような
感想しか頭に浮かばないでしょう。

 

映画やTVなど
観ているだけのものですら、
内容が頭に入らず
笑うことができないのに

 

会話が盛り上がって笑うなど、
とても出来そうにありません。
敬遠してしまいます。

 

人と話す、会話するというのは
とてもエネルギーを使い
自分を疲れさせる行為だと
うつ病になって特に感じております。

 

対面に人がいて
その目元や口元など
表情を見ながら、
相手の話を聞き取って、
その会話の内容を理解して
それが、面白いものかなど
頭の中で整理して
面白いものなら笑うという
行動に移す。

 

自分にとって会話は
いくつもの行程を経て
やっとの思いで行う行為のように
感じます。

 

ですから、
会話をしていくと途中で
脳が疲れ切ってしまうのです。

 

長い話になると
最初の頃の話など
覚えていないなんてこともあります。
そうなると、話の前後が
頭から抜け落ちているので
面白いことを言われても
笑えないのです。

 

今話してきたような、
映画やTVを見たり、会話をして、
脳が疲れ切ってしまって
頭に内容が入ってこない状態を
例えていうなら、
録画してためておいた、
ドラマや、アニメなど
最後まで何時間もかけて
一気見したあとなどと
状況は近いかもしれないですね。

 

長時間、見すぎて、
最初の頃のストーリーは、
忘れてしまっている。
最後のほうは、
見たいという興味も薄れて
なんとなく流れで見ていた
ような感覚です。

 

笑うことが、身体によく
笑うことでスカッとできて
気持ちがいいことは、
自分も過去の記憶をたどって
感覚的に覚えています。

 

昔、あんなことがあって
自分は大笑いしていたなってね。
腹の底から笑って
ストレスも吹き飛んで
気持ちよかったなってね。

 

でも、うつ病と診断されてから、
そんな大笑いをしたなんて
経験は記憶にないです。

 

そのくらい、笑うことから
離れて生活している
証拠でしょう。

 

逆に、
「腹の底から笑える」
ことが出来たなら、
その時は、笑って
うつ病が治る兆しが
見えてきたと
心から思えるのかも
しれません。

 

 

うつ病と自立支援医療

唐突ですが、

自分がうつ病になって、

一番、悩んだことは、

お金、生活の事です。

 

3年前のうつ病発症時は

うつ病になってしまった」

という事実もショックでしたが、

うつ病で気分が落ち込んでいても、

頭の中で、考えなければならないのは

生活、お金のことでした。

 

うつ病で受診した際に

即、休養が必要との診断でしたので

そのまま会社に説明して、

休職に入りました。

 

うつ病の治療のためには

休養が必要でしたので、

休職できたことはありがたかった。

でも、急に仕事が休みになり、

給与が発生しない。

月々の収入が0になったことは

正直あせりました。

 

のちに傷病手当金について

知るわけですが、

休職した初めの3か月くらいは、

無収入で生活をしておりました。

 

当然、日々の生活費はかかる、

お金は出ていく一方、

そこに、うつ病の通院でかかる、

交通費や診察代、薬代が、

月にして1万円くらい、

どんとのっかてくるわけです。

もう悩まずにはいられません。

 

そんなある日、

メンタルクリニックで、

お会計を待っていると、

聞き耳を立てていたわけでは

ありませんが、

他の患者さんのお会計金額が

耳に入ってきます。

 

人によって様々で

数千円の方もいれば、

数百円の方もいました。

 

それは自分にとって,

不思議なことでした。

何故、人によってお会計金額が

バラバラなのかと。

 

その違いが知りたくて

どうしようもないのですが、

クリニックに直接聞くのも

なんだか憚られる気がして

尋ねることができませんでした。

 

そのお会計金額の違いを

不思議に思いながら、

自分のお会計の順番が

来るのを待っていると

1枚の張り紙に気が付きました。

その内容が、自立支援医療です。

 

ですがその張り紙には、

自立支援医療受けられます

通常3割負担の医療費が

1割負担まで軽減されます。」

とだけ記載されていだけ、

自分が該当するのどうかも

分かりませんでした。

 

そこで、すぐネットで調べました。

自分が該当するのかどうか?

どこで申請できるのか?

申請には何が必要なのか?

 

検索すると「自立支援医療」について

色々な記事がでてきて

詳細を知ることができます。

 

その中の一つの記事のリンクを

貼っておきます。

snabi.jp

ネットで調べて、

自分が該当することがわかると

即座に申請し、自立支援医療制度を

受けることにしました。

 

自分の場合、

メンタルクリニックの通院が

月に2回ありましたので、

自立支援医療制度を受ける前は、

交通費往復1000円程度

診察料1500円程度

薬代2週間分1500円程度

合計4000円

それが月に2回で8000円

かかっていました。

 

それが、自立支援医療制度を受けると

交通費往復1000円程度

診察料500円程度

薬代2週間分500円程度

合計2000円

それが月に2回で4000円

と半額くらいまで

うつ病にかかる医療費を

抑えることができました。

 

すでに自立支援医療制度を

お使いの方も多いとは思いますが、

まだの方は、自立支援医療制度

申請されることをお勧めいたします。

 

 

うつ病になったらどこで診てもらう?

うつ病かなと思ったら?

どうすればよいのか?

判断に迷う方も多いのでは

と思います。

 

今回は自分がうつ病になった当初を

振り返りながら、専門医選びから

通院にいたるまでの経緯について、

ちょっと書いてみます。

目次

 

うつ病で受診する

うつ病での受診を決めた経緯

自分が初めに異変に気が付いたのは

3年前のことです。

「夜中に目が覚める回数が多くなり

ぐっすり朝まで眠れない」

はじめは、こんな症状でした。

 

それ以来、夜中に数回起きては、

また寝るという状況を繰り返しながら

1,2か月が過ぎようかという時でした。

症状が悪化し始めます。

 

朝までよく眠れないことが、

不安となり、

「今日は寝れるのか、

それともまた夜中に

起きてしまうのか?」

毎晩そればかりが気になって

寝つきがまで悪くなってしまいました。

 

こうなるとますます眠れないという

悪循環に陥ってしまい、

  1. 夜が来ても眠れないのではと不安になる
  2. 目をつむってもなかなか寝付けない
  3. 寝たと思っても、すぐ目が覚めてしまう
  4. 眠れないまま朝を迎える
  5. また眠れなかったと落ち込む

この不眠のスパイラルを

毎日繰り返すことになりました。

 

それから、眠れない状態が

1週間程度続いたある日、

ベッドからも起き上がれない精神状態になり、

仕事も休むしかなくなり、

これは、「病院へ行かないといけない」

思いました。

うつ病発症から受診までの難しさ、現状

こんなひどい状況になるまで、

なにも行動していなかった

わけではありません。

不眠について打ち明けていた友人にも

病院への受診を薦められていたので、

かかり付け医に診てもらおうと

したこともありました。

 

しかし、かかり付けの病院は

不眠の専門ではないと、

診療を断られました。

 

次に、近隣の心療内科を探し、

数件に診療をお願いしましたが、

「予約制のためすぐには診れない」

と言われ、

「初診の予約は1から2か月先まで一杯」

という返答ばかりでした。

 

いざ、体の異変に気が付いても

診てくれるところを探すのが

大変困難なことを知りました。

 

自分はここで一度、

専門医探しをあきらめてしまいます。

 

市販のサプリメントを飲用するなど

不眠も時間がたてば治ると

自己判断で行動していた時期があります。

 

ですが、不眠が治る兆しはなく、

不眠の症状はひどくなるばかりで

再び専門医探しを始めます。

こんどは、自宅から近い場所ばかりでなく

とにかく直ぐに診てもらえるところと

必死になってさがしました。

 

そうしてやっと思いで、

受診の予約ができた、

メンタルクリニック」で、

検査の結果、「うつ病」の診断を受けて

現在にいたります。

どこで診てもらうか

うつ病の専門医探しの難しさ

身体に異変が出始めても

はじめは、何の病気かもわからず、

どこの専門医に行ったらいいのか

わからない方が多いのではと思います。

 

身体の状態の事も、

病気のことも、

さらには受診すべき専門医のことも

すべてが、わからない中で

診てくれる専門医を探して

通院するというのは、

かなりのエネルギーを使う

ことだと思います。

 

自分もおかしいなと思ってから、

専門医を探すにあたり、

ネットでたくさんの記事を検索しました。

 

ここに、「うつ病はどこで相談すべき?

失敗しないうつ病の病院の選び方」の

記事を掲載しますので、

参考にしていただければと思います。

search.anamne.com

自分との相性の良い専門医探し

大量のエネルギーを使って

病院なりクリニックなりの

専門医を探して受診するならば、

できるだけ条件のいい所でと

あなたも考えるはずです。

 

例えば、上記のネット記事の

「うつ病はどこで相談すべき?

失敗しないうつ病の病院の選び方」

でいうなら、

  1. アクセス
  2. 治療のコスト
  3. 医師との相性
  4. 病院の評判

といった条件が

希望に合っているか

ということにになります。

 

ですが、自分の経験からすると、

身体、心の状態の異変に気が付いても

なかなか、病院なりクリニックなりの

専門医に診てもらうのは、

「今直ぐに」というわけにはいかない

現実があるということです。

 

そのなかで、最初から条件の合った

病院なりクリニックなり、

さらには医師を

見つけ出すというのは、

困難なことかと思います。

 

でも、相性が悪い、信頼できない医師に

長い時間を要するかもしれない治療を

任せることも嫌でしたので、

 

自分の場合は、同病院の中で

担当医を変えてもらったり、

違うクリニック等を受診したりしながら、

自分が治療を任せてもいいと

判断できる先生を

見つけていきました。

まとめ

うつ病を発症してから

受診までに至る経緯として、

いくつかのステップがあると

考えます。

 

自分の場合は、

  1. 身体の異変に気が付く
  2. 友人から受診を薦められる
  3. 診てくれる専門医を探す
  4. 身体の異変がひどくなっていく
  5. 受診する。
  6. 治療開始

というステップを踏んで、

現在の治療の段階にいたったわけですが、

ステップの1・2・3の段階、

つまり異変に気が付いてから、

専門医をさがし受診するまでに、

1から2か月はかかってしまい

身体の異変、不眠も

どんどんひどくなっていきました。

もっと速やかに受診していればという

後悔はあります。

 

でも、すぐに診てくれる専門医を

探すのは容易ではないことが

現実としてあることも

再度お伝えいたします。

 

ですが、あきらめずに

探し続けることが

大事だと思います。

 

まずは、ネットでもよいので

気になる病院なりクリニックを

見つけたら、電話してみる、

受診が難しいようでしたら、

つぎを探すという風に、

とにかくあきらめないことが大切です。

 

まちがっても自分のように

自己判断で症状を放置するような行為は、

避けたほうが良いと思います。

 

そして、いざ診てくれる

専門医をみつけたら、

まずは受診されることを

お勧めいたします。

 

条件に合った

希望通りの専門医や医師を

見つけるのは、

そのあとからでも

遅くはないと思います。

 

 

うつ病と散歩

今回はうつ病の自分が

散歩が好きっていう気持ちを

ちょっと書いてみます。

 

ここでは、散歩の効果とか

専門的な話は抜きにして

純粋に散歩が楽しくて

しょうがないという

散歩愛だけを綴っていきます。

 

自分は時間があるときや

体調が良い時は

決まって散歩に出かけます。

日によっては2回も3回も

出かけます。

 

決まったルートは無く

気分によってコースを変え

一回の散歩に

平均1から2時間かけて

10000歩から20000歩は歩く

といったところでしょうか。

 

散歩が好きな理由はずばり、

うつ病の事を忘れられる」、

うつ病から離れられる」、

と感じられる唯一の時間だからです。

散歩と歩幅

歩幅は決まってません。

すべて自分のペースです。

早歩きしたり

のろのろ歩いたり

自分の思うままです。

 

寄り道してカフェにはいったり

本屋に立ち寄ったりもします。

 

自由気ままに歩くだけです。

散歩の楽しみ

散歩と光

散歩をしていると、

特に晴れの日は

太陽の光にてらされ、

目に飛び込んでくる景色が

すべて、きらきら輝いて見えます。

見慣れた街並みの風景も輝いて見えます。

 

一歩一歩進んでいくと、

そんなきらきらした景色が

写真を一枚ずつ見ているように

次々と目に飛び込んできて、

自分を楽しませてくれるのです。

 

路地に咲いている草花や

自転車で通り過ぎる人々

並んで歩く親と子供

楽しそうに会話している学生たち

 

出会うすべてのものが

自分の心を

楽しませてくれます。

散歩と音

耳に飛び込んでくる音は

心を癒してくれるサウンドになります。

 

歩くたびに、コツコツなる靴音は

ちょっとずつ自分を次の景色へ

連れて行ってくれる

心躍る音。

 

自分を通りすぎていく

風の音は、

さらに遠くへと自分を誘い

背中を押してくれる音。

 

音に耳を傾けていると

散歩がいろどり豊かになって

いきます。

散歩と香り

散歩をしていると

色々な香りと出会うことができ、

味わい深くなっていきます。

 

季節ごと咲き変わる花の香りは

四季の始まりと終わりを

つたえてくれます。

 

時間ごとうつろう町の香りは

明け方や夕焼け時、

食事時の家から流れる料理の香りなど

一日一日が過ぎ去るのを

感じさせてくれます。

 

天候で変化する空気の香は

快晴や曇り、雨で変わる

空気や土のにおいなど

自然の香りを教えてくれます。

 

香りに思いを寄せると

散歩が赴き深いものになって

いきます。

散歩と感触

散歩をしていると

靴で踏みしめた感触で

楽しみがましていきます。

 

土を踏みしめれば

「ザスッ」とした感触があり

 

水たまりを踏みしめれば

「バッシャ」とした感触があり

 

落ち葉を踏みしめれば

「シャオ」とした感触があり

 

雪を踏みしめれば

「フギュッ」とした感触があり

 

一踏み一踏み、

散歩の満足感が増して

いきます。

 

散歩は一歩一歩と

歩くたびに

いろいろな顔を見せ

自分を楽しませてくれます。

うつ病と散歩

散歩はうつ病を忘れさせてくれる

うつ病と離れられる最高の時間です。

 

頭のなかでグルグルと回る不安な気持ちも

心の中のでモヤモヤとする焦る気持ちも

すべてを吹き飛ばして

スッキリとさせてくれます。

 

さらに散歩の時間は、

自分と向き合い、

自分の正直な気持ちと

対話をさせてくれます。

 

自分をまっすぐに見つめて、

自分が今何を考えてるのか、

これから何がしたいのか、

自分の心と話をさせてくれます。

 

散歩をしている時だけが、

うつ病の呪縛から逃れ

自由に感じたり、考えたり、

できる唯一の時間なのです。

 

 

うつ病と接し方

だれしも一人では生きていけません。

 

様々な人と関りを持ちながら、

日々の生活は成り立っていきます。

 

それはうつ病になってからも

続いていきます。

 

うつ病を患っている者への

禁句や接し方という

本やネット記事を見かけます。

 

例えば「頑張れ」は禁句と言われます。

うつ病では励ましの言葉もよくありません。脳内が病的になった結果、頑張りたくても頑張れなくなってしまうのが、うつ病なのです。

頑張れないことに悩んでいる相手に励ましの言葉をかければ、かえって相手を追い詰めてしまう可能性があります。

 

allabout.co.jp

自分もうつ病と診断されて、

3年が経過し、いろいろなタイプの人と

接してきました。

その時に感じたことや

思ったことなどを

書いてみたいと思います。

 

うつ病と診断されて、

先ず病気について最初に

伝えたのは当然かもしれませんが

家族でした。

 

自分の家族には、うつ病などの

いわゆる精神疾患を患っている者は

いませんでした。

なので自分がうつ病を患った当初

精神状態がどういう状態にあるのか

理解はできていなかったと想像します。

 

なので、うつ病発症当初に

家族から、投げかけられた言葉は、

 

うつ病ってどんな感じなの?」

「なんでうつ病になったの?」

「どうしたらうつ病は治るの?」

 

このような質問形式の言葉なので、

自分も答えに苦しむものが

多かったです。

 

その時は気分も

相当落ち込んでいましたし

答えるのも億劫でしたので、

あえて、答えようとは

しませんでしたが、

「好きでうつ病になったわけではない」と

イラっとしたのは覚えています。

 

友人からは、心配する

言葉が多かったです。

 

「大丈夫?」

「つらくない?」

 

など、うつ病が当人にとって

つらいものであることは、

一応の理解を示してくれたのが

うれしかったです。

 

とても親しい友人からは、

ここでは言葉をぼやかして書きますが

「間違った考えを起こしたら絶対だめだよ」と

この言葉は印象的で

いまでもはっきりと覚えています。

 

そのことばで、はっと我にかえり

「自分なりに生きていこう」と

思ったこともあります。

 

今は、退職してますが、

会社では、心配はしてもらえても、

当然仕事をしなければならないので、

気遣いのある優しい言葉ばかり

選んで声をかけらるわけではありません。

 

時には、叱責を受けることもあるし、

「もっと頑張って」と

言われることだってありました。

当然、「自分は頑張っているのに」と

ムッとなることは多かったです。

 

うつ病になってから、

色々な人と関りを持っていく中で、

自分との関り方を理解して

言葉を選んで接してくれる場面は、

数えるほどだったと感じてます。

 

少なくとも自分の周りでは、

うつ病の人への禁句だとか

関係なく、うつ病とはお構いなしに、

接していた人が多かったです。

 

でも自分は、それは仕方のないこだと

うつ病になって、3年経過した

今は思ってます。

 

身近にうつ病を患っている者がいて、

うつ病について知ろうと

本やネットを見てくれた方は

実際いました。

 

でも、症状は人それぞれ、

辛さも苦しみも千差万別です。

自分の本当に抱えている苦しみを

理解してくれる人は

当然なのかもしれませんが

自分以外にはいませんでした。

 

だから、うつ病の自分との接し方は、

自分以外にはわからないもの

なのかもしれません。

 

時には、一人でそっとしてほしいとき

もありますからね。

そうかとおもえば、寂しくて

声をかけてほしい時もあります。

 

周りから見て、今の自分が

何をしてほしいのかなんて

「理解してよ」というのが

無理な話なのかもしれません。

 

極論、うつ病を患っている者との

接し方は、その当事者に聞くのが

一番早いかもしれませんね。

 

そう思えるのは、

自分の会社の同僚で

仕事を進めるには

どうフォローしたら

うつ病の人って助かるのか

正直に質問されたことがあり、

 

その時、自分は答えに困ることなく、

素直に、自分がしてもらって

助かることを伝えることができ、

仕事もスムーズに進めることができた

経験があるからです。

 

これは特殊な例かもしれませんが、

まずは、うつ病のことや、

うつ病を患っている、その人について

知ってもらうことから、

接し方の第一歩がはじまると

考えます。

 

自分と接してくれた方々は

当然、自分がうつ病であることを

知っていますが、

自分がどんな時に気分が落ち込んだり

物事への興味関心が薄れていること

昔と違って今はもう楽しめないこと

などすべてを理解しているわけでは

ありません。

 

ただ、知ってもらえていることは、

とても大切なことです。

関りを持っていくうえで、

この人は、「自分がうつ病だと

知っている人」だと

安心して接することができます。

 

まずは、うつ病を患っていることを

知ってもらって、

次に、うつ病のことについて、

知ってもらって、

だんだん関わっていくうちに

うつ病の辛さ苦しみについての

理解が深まり、

やがては良好な接し方が

築かれていくのではないかと

うつ病の自分は考えます。

 

 

うつ病とファッション鬱

「ファッション鬱」

 

あなたはこの言葉を知っていますか?

自分は、ネットで鬱について検索中に

「ファッション鬱」という言葉に出会い

初めて知りました。

 

今回は、気になった言葉

「ファッション鬱」について

思うことをちょっと書いてみます。

 

この「ファッション鬱」という言葉

正直、あまり良い意味ではないようです。

 

自称鬱だとか、

鬱で不幸なのをアピールしているとか

「ファッション鬱」の記事には

そんな文章も書かれていました。

 

なかでも気になった記事はこれです。

www.fashionsnap.com

この記事の中には、

次のような文章があり目を引きます。

〈オシャレ〉風に精神疾患を描写することを、精神疾患の専門家アディティ・ヴァーマ(Aditi Verma)は「美しい苦悩」と呼んでいる。精神疾患ミーム化され、不安症やうつが、単にダークなフィルターやシンプルなテキストで演出できてしまう、一時的な〈気分〉に成り下がってしまっている。

 

確かにインターネットのおかげで、精神疾患に苦しむひとびとが仲間を見つけることが容易になった。しかし、精神疾患を〈オシャレ化〉して提示することは、精神疾患の仲間たちのためにはならず、むしろ、いいねやフォローを求め、内面の不安を歪めてしまっているようにみえる。

 

この引用文からつぎのような解釈を

してみました。

 

SNSでいいねやフォローを求めて、

精神疾患が〈オシャレ〉風に描写され

ネット上で共感され伝染していく。

 

一つのファッションを着飾るように

うつ病などの精神疾患を身にまとい

精神疾患をオシャレ風にアピールする。

 

これは自分なりの解釈です。

様々なご意見があると思います。

ですが、ここは自分なりの解釈で

続きを書かせていただきますね。

 

そこで疑問が浮かんだのですが、

この、SNSでいいねをもらうために

アピールしている方々は、

精神疾患になったことを

どう思っているのだろうか?

 

自分にとって、ここでいう精神疾患

うつ病なので、

うつ病に限っての話をしますが、

辛いものでしかありません。

 

誰かにすすんでアピールするものでは

ありません。

 

ただ、発言に反するかもしれませんが、

自分がうつ病でつらいことを

誰かに知ってもらいたい

理解してもらいたいという気持ちは

正直あります。

 

このブログで「うつ病」について

自分の気持ちを綴っているのも

発端はそんな自分を理解してほしい

というところからの発信です。

 

SNSでオシャレに精神疾患について

発信されいるという

この「オシャレ」も当事者にとっては、

その人なりの発信のしかたであって、

オシャレ風なアピールも

発信者からしてみれば

誰かに受け取ってほしい

心のSOSなのではないかと

自分は考えます。

 

この発信を、

オシャレなアピールととるか、

心のSOSと取るかは、

読み手、受け手次第だと思います。

 

 

うつ病と昔の自分

昔の自分なんて振り返っても意味が

ないかもしれません。

 

すでに自分はうつ病

いまや、思い通りに

動いてくれない困った

自分しかここにはいないのですから。

 

でも、昔の自分はどうっだったのか、

こんなときなら、

あんなときなら、

自分はこう行動していたとか

こう考えていたとか

つい昔の自分と比べようと

してしまう。

 

比べてしまうのは

たいてい気持ちが沈んでいるとき。

 

昔の自分はこんなではなかった。

もっとテキパキ行動して

頭の中も冴えきっていて

行動がつぎからつぎへと

湧き上がるように考えられていたはずだ。

 

でも、この「だったはず」の自分は、

もはやすでに想像の生き物です。

思い出そうとしても

自分の面影がぼやっとしていて

はっきり思い出せないから。

 

いまの思い通りに動いてくれない自分は、

あまりにも、みじめで

好きになれません。

 

うつ病と診断される、3年前までは、

他の同僚とおなじように

通勤して仕事をして、

友人と食事にいって楽しく会話したり

趣味に没頭し、心から楽しんだり

していたはずです。

 

それが、たったの3年で

自分がこんなに変わってしまうとは

思ってもみませんでした。

 

家族や友人にも

自分が変わってしまったことは

伝わっているのでしょうか?

理解してもらえているのでしょうか?

 

昔の自分は、当人でさえも

もう思い出せない、

過去の人になってしまった

ということを。

 

過去の人だと思っていても

それでもなお、昔の自分を

思い出そうとしてしまう

今の自分がいる。

 

うつ病が治るというのは

昔の自分に戻れるということ

なのでしょうか?

 

病院で、いまだに聞けない質問です。

喉まで出かかっているのに

怖くて聞けない。

 

怖いのは、

昔の自分には戻れないと

宣告されること。

 

うつ病から早く

抜け出したいと願いつつも

うつ病がなおったら

どんな自分になってしまうのか

考えたら怖い。

 

仕事ができるようになり、

友達と楽しく食事したり、

家族と他愛もない会話をしたり、

趣味に没頭したり、

何か新しいことに挑戦したり、

うつ病から抜け出せて

色々なことができるように

なったとして、

 

自分はどうなるんだろう。

 

うつ病になってからは、

昔の自分と今の自分

そして、これからの自分について

考えて眠れない日があるのです。